2026年4月21日火曜日

4/21(火)15章1~10節 小さな「妬みと正義感」が始まりだった

📖10節

ピラトは、祭司長たちがねたみからイエスを引き渡したことを知っていた


妬みは、だれでも覚えがある感情です。

でも、そんな小さな感情から受難の物語が始まっていったのです。

なぜイエス様が十字架にかからなければならなかったのか考えてみたいと思います。


🌿 イエスさまの裁判は、最初からおかしなものでした


当時のユダヤの裁判は、本来とても慎重でした。


- 夜に裁判をしてはいけない  

- 祭りの期間に死刑を決めてはいけない  

- 証言が食い違えば無罪  

- 死刑事件は多くの裁判官で慎重に判断する  


ところが、イエスさまの裁判では、これらが次々と破られていきます。


- 夜中に審問が行われ  

- 夜明けと同時に急いで結論が出され  

- 証言はバラバラ  

- 罪のない方が縛られ、ローマへ引き渡される  


制度が悪かったのではありません。  

人の心の中にある“罪の力”が、制度をねじ曲げてしまったのです。


🌿 祭司長たちの妬み ― 小さな思いが大きな罪へ


妬みは、誰の心にも起こりうる小さな感情です。  

しかし聖書では、妬みが大きな罪へとつながる様子が何度も描かれています


- カインの妬み → 弟を殺す  

- ヨセフの兄たちの妬み → 殺害計画  

- サウルの妬み → ダビデを追い回す  


祭司長たちも同じでした。


- イエスさまの人気が妬ましい  

- 自分たちの立場が脅かされる  

- 人々がイエスさまに向かうのが許せない  


この“小さな妬み”が、  

偽りを集め、制度を壊し、無実の人を殺す力へと変わっていきました。

罪は、いつも小さなところから始まるのです。


🌿バラバってどんな人だったの?


バラバは「暴動のときに人を殺した」と書かれています(15:7)。  

彼はローマの支配に抵抗するグループにいた可能性が高いと言われています。


つまり、彼の心の出発点は、もしかするとこうだったかもしれません。


- 民族を守りたい  

- 不正な支配に立ち向かいたい  

- 神の民を自由にしたい  


しかし、ここに人間の弱さがあります。

正しい思いが、自己中心に傾くと、罪へと変わってしまう


愛国心が  

→ 自分の正義を絶対だと思い  

→ 暴力を正当化し  

→ ついには人を殺すことへとつながる  


これは、他人事ではないですね。

だれも見ていない自分の心の中で、

「この人、いなくなってほしい」

と思ったとしたら、

そんな自分こそバラバなのです。


🌿「バラバ」という名前の深い意味


「バラバ」という名前は、アラム語で “父の子”という意味です。

ここに、マルコが伝えたい深い象徴があります。


- “父の子(バラバ)”が釈放される

- “御父の子(イエス)”が縛られ、十字架へ向かわれる


本来、罪を負うべき“父の子”が自由になり、  

罪のない“神の子”が代わりに苦しみを受けられる。


これはまさに、

「私が赦されるために、イエスが縛られた」

という福音そのものです。


🌿 マルコが私たちに見せようとしているもの


マルコは、読者にこう語りかけています。


- 祭司長たちの妬みの炎が、私たちの心にもある  

- バラバの歪んだ正義感は、私たちにもある  


ここに描かれているのは、“彼らの罪”ではなく、“私の罪”の姿です。


それをイエスさまは、黙って背負ってゆかれたのです。

「あなたを救うために、私はすべてを背負う」と。


私の罪のすべてを、イエスさまは十字架へ運ばれたのです。


🌿 おわりに

イエスさまの裁判は、人間の弱さと罪の姿を映し出す鏡です。  

心の中にひそむ罪の深さ

異常さ…。

それを背負い、贖ってくださったイエスさまに感謝するばかりです。


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