このお話は誤解されやすい箇所かもしれません。
裕福な青年とイエス様とのやりとりを通して、聖書が何を私たちに伝えようとしているのか丁寧に見てゆきます。
📖17節
イエスが道に出て行かれると、一人の人が駆け寄り、御前にひざまずいて尋ねた。
🌿「駆け寄り」と訳されている語は、“全力で走る”ニュアンスで、切迫感や真剣さがこめられています。
これは、抑えきれない衝動に突き動かされている姿です。
- 何かに追われている
- 今すぐ答えが欲しい
- 心の奥で不安が膨らんでいる
こうした“切迫感”が伝わってきます。
🌿「ひざまずいて」は、崩れ落ちるように膝をつくイメージです。
彼の心が不安と重荷に耐えられず、すでに限界だったことを示しています。
・律法を守ってきたのに、何かが足りないのでは?
・自分の努力では届かないという焦り
・「永遠の命」に対する確信がない
・イエスが今ここにいる、この瞬間を逃したらもう聞けない
・いますぐ答えが欲しい
これらの恐れと焦りが、彼を走らせ、ひざまずかせたのでしょう。
📖17節・18節
「良い先生。永遠のいのちを受け継ぐためには、何をしたらよいでしょうか。」
イエスは彼に言われた。
「なぜ、わたしを『良い』と言うのですか。
良い方は神おひとりのほか、だれもいません。」
🌿このやり取りはどういう意味?と思いますね。
「良い」と訳されている語は、神様だけが持っておられる「完全で絶対的な善」のイメージの言葉です。
この言葉を彼が軽く使っているので、
「あなたは私を”絶対的な善”と呼んでいるのですか?
完全に良い方は神だけですよね?
あなたは私を本当に神であると考えているのですか?」と問い直しておられるのです。
🌿次に、イエス様が聖書の戒めを守ることについて触れると、彼は自分が少年の頃から全て守ってきたと答えます。
そして彼を見つめ、いつくしんで言われたのが21節の言葉です。
「あなたに欠けていることが一つあります。
帰って、あなたが持っている物をすべて売り払い、貧しい人たちに与えなさい。
そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。
そのうえで、わたしに従って来なさい。」
🍀これは耳を疑ってしまうような言葉ですね。
財産をすべて売り払うなんて、なんと厳しいことを要求されるのだろう、と思ってしまいます。
でも、これは全ての人に求めておられることではありません。
財産を持つことが悪いことでもありません。
🍀では、なぜイエス様は彼にこのようなことをおっしゃったのでしょう。
問題は、「財産が神より大切になってしまうこと」です。
青年にとって“財産”は、神より大きな偶像になっていたのです。
青年は律法を守り、道徳的にも立派でした。
しかし、イエスが「あなたの持ち物を売り払いなさい」と言われたとき、
「彼は悲しみながら去った」(22節)のです。
これは、
彼の心の中心に“財産”があったことを示しています。
🍀イエス様は彼の心の最も深い部分を見抜き、「あなたの偶像を手放しなさい」と促されたのです。
イエス様はすべての人に同じことを要求していません。
「あなたの心を支配しているものを、神より上に置かないでほしい」
とおっしゃっているのです。
🍀永遠のいのちは「行い」で買えるものではありません。
青年は「何をすれば永遠のいのちを得られますか」と尋ねましたが、
- 良い行い
- 財産の量
- 犠牲の大きさ
で得られるものではありません。
永遠のいのちは“神との関係”から始まります。
神を第一にする心から始まります。
だから「それを妨げているものを手放しなさい」
と教えているのです。
🍀では、私たちにが手放すべきものは何でしょう。
必ずしもお金とは限りません。
- 評価されたい気持ち
- プライド
- コントロールしたい思い…など
イエス様は、人それぞれに、
「あなたの心を支配しているものを手放して、私に従ってきなさい」
と招かれます。
🍀このお話を読んで雅歌8:6を思い出しました。
愛は…強く、ねたみは黄泉のように激しいからです。
その炎は…すさまじい。
大水もその愛を消すことができません。
神様の私たちへの愛が、激しく燃え上がる妬みの炎にたとえられています。
旧約聖書では、神様がイスラエルを「妻」と呼んでおられ(ホセア書 エゼキエル16章)、
新約聖書では、キリストが教会を「花嫁」と呼んでいます(エペソ5章、黙示録19章)。
神様は私たちを「独占したい」と願うほど、深く激しく愛しておられるのです。
🍀だからイエス様は青年に呼びかけておられます。
「あなたの心を奪っているものを手放して、
私と本当に結ばれてほしい」
花婿のような愛の呼びかけです。
青年にとって財産は、
神との関係を妨げる“別の恋人”のような存在でした。
イエス様は、
嫉妬のような深く強烈な愛で、彼を本気で招いたのです。
🍀ただし、イエス様は私たちの自由を尊重されます。
青年が「悲しみながら去った」時、
イエス様は追いかけて無理に引き止めることはなさいません。
私たちは、花婿イエス様の愛の招きにどうこたえるのでしょう。
自分の手が握っているものを手放して、イエス様の愛の中に飛び込んで行けるのか、探られます。
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