聖書には、強さよりも「弱さ」を抱えた人が多く登場します。
ローマ総督ピラトと使徒パウロも、その一人です。
立場は違っても、二人の姿には私たちの心に響く共通点があります。
🌿ピラトの弱さ — 外側の圧力に負ける心
ピラトはイエスが無実だと知っていました。
それでも群衆の叫びや政治的な恐れに押され、
「群衆を満足させるために」
イエスを十字架へ引き渡します。
本当はイエスが正しいとわかっていましたが、
彼にはこれ以上ユダヤで問題が起こると困る理由がありました。
そのため、場の空気や恐れに流されてしまったのです。
これは、特別な悪ではなく、
誰の心にも起こりうる弱さです。
🌿パウロの弱さ — 内側の葛藤に苦しむ心
一方パウロは、ローマ書7章でこう告白します。
📖「したい善を行わず、したくない悪を行ってしまう」
外側の圧力ではなく、
自分の内側にあるねじれとの戦いです。
パウロは弱さを隠さず、
正直に言葉にしました。
そこに、回復の第一歩があります。
🌿弱さの中に差し込む光
ピラトの心が揺れ、パウロが葛藤するその横で、
イエスは静かに、揺らぐことなく歩み続けました。
- 群衆が叫んでも
- 兵士が嘲笑しても
- 権力者が迷っても
イエスは沈黙の中で、
私たちへの愛と真実を貫き通し、
十字架へ向かって進まれました。
このお姿は、弱さの中にいる私たちの心を照らします。
🌿今日の私たちへのメッセージ
ピラトもパウロも、
そして私たちも、弱さを抱えています。
弱さがあっても神は見捨てない。
恐れや葛藤の中でも、イエスの光は消えない。
弱さを認めるとき、新たに回復の道が開かれる。
私もパウロのように十字架の主を仰ぎ、
弱い者を強くしてくださる主の恵みに信頼します。
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