📖11節
こうしてイエスはエルサレムに着き、宮に入られた。
そしてすべてを見て回った後、
すでに夕方になっていたので、12人と一緒にベタニアに出て行かれた。
エルサレムで群衆がイエスを大歓迎する場面はとても印象的なため、11節はさ~っと読み過ごしてしまいやすいですね。
でも、実はここに大切なメッセージがギュッと詰め込まれているのです。
🌿「すべてを見て回った」
これは観光ではありません。
視察というより、査察に近いです。
以前の礼拝で、
受難週は、人々が過ぎ越しの小羊イエスを審査する期間だとお話しました。
でも、それだけではなく、
逆にイエスが神の側から彼らを査察する時でもあったのです。
どういうことでしょう。
🌿この日、イエスは宮(神殿)の中をくまなく査察します。
祭儀のあり方、
商売の状況、
祭司たちの動き、
人々の霊的な雰囲気など、
本来のあるべき姿からかけ離れた様子をご覧になられて、イエスはどんなに胸を痛めたことでしょう。
しかし、すでに夕方であったのでイエスの一行はベタニアに向かい、憩いの時を過ごします。
宮清めは、翌日に行われます。
🌿つまり宮きよめは
イエスがとっさに怒って暴れたのではありません。
衝動的ではなく、冷静に。
しかし、深い悲しみと憤りも抱きつつ、
査察の結果として裁きを行われたのです。
この時は宮きよめだけでしたが、
37年後に神殿がローマ軍によって破壊されてしまいます。
🌿これは聖書全体に流れるパターンです。
たとえばソドムとゴモラの場合、
①滅ぼす前に査察が行われています。
二人の御使いを派遣し、ロトの家で起きた出来事を通して町の状態を見極めています。
②査察の結果、二つの町に裁きを下すことになります。
(その前にロトと家族は避難します)
そして天から硫黄と火を降らせ、
町だけでなく、
住民も家畜も植物も
徹底的に破壊されました。
他にも①査察 ②その後に裁き、というパターンが歴史の中で繰り返されてゆきます。
🌿私たちが滅び失せなかったのは大いなる憐れみです。
イエスは裁き主であられますが、
私たちの罪と弱さをすべて背負って過ぎ越しの小羊になってくださいました。
🌿今もイエスは私たちをご覧になりますが
裁くためではありません。
愛する者の必要を知り
私たちを助け、守り、支えるために
御父にとりなすために
温かな愛のまなざしを向けてくださいます。
すでに贖いの十字架が立てられたからです。
言葉に言い表せない恵みに、
ただ、ただ、感謝します。
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