38節
ヨハネがイエスに言った。
「先生。 あなたの名によって悪霊を追い出している人を見たので、やめさせようとしました。 その人が私たちについて来なかったからです。 」
人はすぐに相手が自分の「仲間」かそれとも「よそ者」かで線引きしたくなりますね。
仲間ではない人がイエスの名によって奇跡を行うことは、弟子たちにとって
「自分たちの特別な立場や価値が失われるような感覚」を覚えたのでしょう。
奇跡を行う力を自分たちの特権にしておきたかった。
そうしなければ
自分の存在価値が揺らいでしまう。
落ち着かない気持ちになっていたようです。
弟子たちの動揺は、分かる気がします。
でも、イエス様は違います。
40節
「わたしたちに反対しない人は、わたしたちの味方です。」
線引きしないで、相手の心をご覧になって彼を味方として受けとめます。
懐の広いお方です。
この出来事の前に語られた教えの通りですね。
37節
「だれでも、このような子どもたちの一人を、わたしの名のゆえに受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。
また、だれでもわたしを受け入れる人は、わたしではなく、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。」
相手が弱い立場の人であっても、そして自分の仲間ではないように見える人であったとしても、受け入れることができる心の広さ。
それが人間としての成熟を表しています。
私もそんな「大人の人間」になりたいものです。
つい自分と違う部分が目についてしまいやすいですね。
そんな未熟さから早く卒業したいものです。
41節
「まことに、あなたがたに言います。
あなたがたがキリストに属する者だということで、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる人は、決して報いを失うことがありません。」
悪霊を追い出す奇跡と比べると、水一杯の親切は小さいことのように見えます。
でも、その小さな親切に神様は”必ず報いてくださる”お方なのです。
(昨年の秋から冬にかけてしばらく水不足が続きましたので、日本の私たちも水一杯のありがたみが少し分かる気がしますね。)
神は惜しみなく御子イエスの尊い血潮を注ぎ尽くして私たちの贖い(救い)を成し遂げてくださいました。
救ってくださるだけでなく、小さな親切にもご覧くださり、報いて祝福してくださる。
なんて愛に満ちた優しい方なのでしょう。
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